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海外遠征での怪我から帰国まで:詳しい話。

私は一昨日帰国しました。
皆様にコメントを頂き、とても励まされました。本当にありがとうございます
後日、返信させていただきます。

先日の試合で、膝を怪我してしまったとお伝えしました。
今日はそれについて、今後の為にも詳細に記録したいと思います。
やたら長文なので、後日また編集し直すと思います。

***以下10/25の出来事*********************************

その日の気候は良好で、少し動くとじんわり汗をかく丁度いい気温。
試合に臨む気持ちは、かなり必死。本気で自分の人生がかかった試合だと思ってました。
それでも試合中は「結果」のことは考えずに冷静で、とてもよく集中していた。
ここ最近の試合の中でもかなり良い精神状態でした。

1stセット4-5、40-15で、あと一ポイントとれば5-5の場面だったので、
「このポイント、絶対とろう!」と気合が入っていて、」非常に集中力が高まっていました。

相手が右サイドのワイドに山なりのボールを打ってきて、全力で右サイドに走り、スライディングしながら打球しようとしたところ、膝の可動域を超えて体が右に崩れてしまいました。

細かく説明すると、私の足は90度くらいに深く曲がり、姿勢はとても低かった。
右サイドに走りこんで、右足でブレーキを掛けながらオープンスタンスで打球。
つま先は正面を向いていました(これが問題だったようです)。
走りこんでから踏ん張って打つのは得意なので、自信を持っていました。でもその時、いつもと違う現象が起こりました。

その瞬間、私の膝が異常に柔らかくしなり、私はビックリして自分の右足を見ました。
私の動体視力は急に上がって、走りこんだスピードのパワーで体が右側に崩れ、
膝が右側に、あり得ない方向に曲るのをスローで見ました。

今まで経験したことのない状況で、私はただ、
「え?なんで?!やばいやばいやばい・・・!!」と焦り、
そしてピキッと何かが膝の皮膚の下で切れる感じがした。その瞬間激痛が走りました。

すぐに膝を抱えて、まるで足を踏まれた犬のように
「イタイ イタイ イタイ!!」と叫びながら倒れました。

私は立てなくて(立とうとする気も起きなくて)ずっと同じ体勢。
すぐに審判とトレーナーが駆け寄ってきました。
痛みは10秒くらいで引きました。
それから私は

「冷静になれ。焦らないでどうするべきか考えろ」と自分に言い聞かせました。
そして自分の中で会議。

「これは無理してやったほうが良いのか?大切な試合だし」
「いや、こんな状況は初めてだから、大変な怪我をしている気がする。続けたら選手生命はないかもしれない」とアレコレ考えました。

審判は「試合はどうする?続けたいならやってもいいし、棄権したいなら棄権しなさい」と言いましたが、トレーナーは「いや、これは大変な怪我だ。やらないほうが良い」と言いました。
それで棄権を選びました。

2人が肩を貸してくれてコートの外のベンチへ。
私はすぐにアイシング用の氷と飲み物を要求しました。
大学の時に少しだけ学んだので、受傷直後はとにかくアイシングが重要だと思いました。でも、ブラジルのトレーナーはそれほど重視していなくて、私は必死に「Please give me Ice!!!」とアピール。あと、飲み物も。水とゲータレードで500mlずつ飲み切りました。
そのとき「もしや、これが有名な前十字靭帯損傷じゃ??」と考えましたが、そう信じたくない気持ちでいっぱいでした。

いろいろ考えすぎたせいか頭がクラクラしてきて横になりました。そこへ友達になった選手・あまり親しくなかった選手まで駆け寄ってきてくれて、「May I help you?」と声をかけてくれました。

そして私のコートの控えの選手のコーチが私のことを抱えてくれて、車に乗せてくれました。重い私を必死に運んでくれました。
そして、審判の人が車へ来て「これから病院へ連れて行く。病院でディレクターとに会える」と言いに来て、
貴重品だけ持ってテニスウェアーのまま車に揺られて30分、少し迷ったりしてやっと小さくてきれいな病院に辿り着きました。

その時はポルトガル語の看板が読めなくて分からなかったのですが、そこはスポーツ専門・特に膝手術の病院でした。大会のトレーナーさんもここから派遣されていて、大会と契約している医院のようでした。

病院へ入ってから大会ディレクターの方が来ました。彼はゴイアニアテニス協会の幹部の人で、英語が話せます。
彼とドクターは初対面だったらしく、ポルトガル語で明るく自己紹介し合っていました。

ドクターの診断は触診のみでMRIやレントゲンは撮らず。私は「さすがブラジルはアバウトだ」と思ってしまっていましたが、あれは列記とした靭帯損傷の徒手テストだったのです。笑

ドクター曰はく、
「前十字靭帯(ACL)と内側側副靭帯(MCL)が損傷している。これが治るのには6か月かかる。すぐに日本へ帰国し病院で正確な診断をしてもらった方がいい」とうことでした。

病院を出てから、大会ディレクターの方がピックアップしてくれて装具の専門店に行きました。その日、彼は休日だったそうです。洗車しようと思っていたところに電話がかかってきて、びっくりしたと言っていました。
本当はガールフレンドとデートする予定だったからということで、その女性の家に行って彼女をピックアップしてから、3人で装具のお店に行き、それから目の前の食堂で一緒にランチを食べ、彼女を送り届けてから私を送ってくました。しかし、その間にガソリンスタンドを5件くらいまわりました。ブラジルはガソリンが売り切れのスタンドが沢山あるので驚きました。あの時、私は「早く自分の部屋に帰りたい」と思いながら、本当に苦しかった。

大会のオフィシャルホテルに送り届けてもらいました。
そして後から再びディレクターが来て、私のラケットバックと試合の賞金を届けてくれました。コートまでわざわざ往復してくれたようでした。

帰国は最も早く日本へ戻れるものを選びました。
Korean Airを利用していたので、日本行のフライトは火・木・土しかない。
その国際線に乗るために、丁度いい国内線を予約しなければなりません。

元々は、10/29(土)にゴイアニア発の飛行機でサンパウロへ戻る予定だったのです。
変更可能チケットにしていなかったので、変更するととても高くつきます。で、新しいものを購入することに。
オンライン予約サイトで価格を見たところ、どれもすごく高額でした。片道1.5時間なのに700レアル(日本円で3万円以上)くらい。でも、その予約サイトはブラジルで発行されたクレジットカードでしか支払えなかったのです。友達になった選手のお母さんとホテルのスタッフが一生懸命手伝って電話で航空会社に問い合わせてくれたりしたのに、結局その日はチケットを購入しませんでした。

大会ディレクターの薦めで、怪我をした次の日は一日休んで、木曜日の早朝に国内線でゴイアニア~サンパウロへ移動。そして昼過ぎにサンパウロ発の国際線で日本へ行くことにしました。
次の日にディレクターの人に空港へ連れて行ってもらい購入するということになりました。
私は上手く歩けず大変気が滅入ってたので、足を延ばして座った状態でした。荷づくりもその友達のお母さんが手助けしてくれ、夕食もホテルのスタッフの人が気を利かせて弁当を注文してくれ、周囲にかなり面倒を見てもらってしまいました。

****************************************

次の日、コートへ行ってスーパーバイザーの人に会いました。怪我の証明書と、先の予定に入っていた試合のキャンセル届を私が署名し、ITF(国際テニス連盟)にFaxで送ってもらいました。

そして飛行機のチケットについてディレクターの人に事情を説明しました。
すると空港よりも旅行会社のオフィスへ行ったほうが安いということで、そちらに車で連れて行ってもらいました。
「すぐ行くから、君はゆ~っくり歩いて行って私の車の前で待っていてくれ」と言われ待っていました。

待つこと20分。
デイレクターが、大きなカメラを抱えた人を引き連れてきて何かと思ったら、ゴイアニア地方テレビの取材。私が日本人で珍しいうえに怪我もしているから良い取材対象だったのでしょう。

リポーターの女性はポルトガル語、それをディレクターが英語で通訳してくれるのですが分かりにくくて、的を得たコメントができなかったと思います。

それから旅行会社へと行きました。そこでは前日700レアルで見つかったチケットが、150レアル(7000円)くらいでした。幸運でした。ゴイアニアで唯一日本語が使える人が経営しているお店でした。

その日はそれで要はすみました。お昼はお弁当をホテルで頼んで食べて、それからホテルのスタッフのお兄さんと記念写真を撮りました。
あと、私は海外保険に入っていたので、今回の治療費や装具の領収書はとっておかねばなりませんでした。ディレクターが装具ショップに連絡を入れてくれ、領収書はバイク便で来ました。10レアルでした。
*******************************************

そしていよいよ帰国の日、フライトは7:30だったので、ディレクターが6時にホテルへ迎えに来てくれると言っていたのですが、その時間に受付にいると電話が。「Sorry, I got up now. just a moment!」
もう私は落ち着いていました。危なくなったらタクシーを呼ぼうと思いましたが20分でディレクターは来てくれ、6:45にはゴイアニア空港につきました。

飛行機には乗り込むまですべて車いす。医師が書いてくれた手紙を航空会社に見せると、特別待遇でした。

日本までは35時間です。経由地はロスと韓国。
まずロスまでの機内では怪我のことを悲しんで、韓国までの機内では今後のことについて日記をつけてアイデアを箇条書きにしたりしました。

10/29の12:00頃帰国し、早速病院へいったところ、高い確率で靭帯損傷であり、手術をした方が良いと言われました。お茶の水にある大学病院は、初診なら土曜の午後もやっていて助かりました。そのときはレントゲン撮影しかできませんでした。

明日、もう一度MRI画像を専門家に見てもらい、その結果次第では手術、リハビリをすることになりそうです。


私はいま、自分でも意外なほど冷静で前向きです。
明日は早いので、おやすみなさい。
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2011.11.01(Tue) | 未分類 | cm(6) | tb(0) |

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75. 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| 2011.11.01 09:16 | edit
76. 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| 2011.11.01 15:53 | edit
77.
佐藤さん こんにちは。能登国際女子で実行委員だったものです。帰りに空港まで送らさせてもらいました。ブラジルでは大変だったんですね。心配です。ただ佐藤さんならきっと治ると信じています。SAプロジェクト楽しみです。佐藤さんは必ずグランドスラムで優勝できるはずです。応援してます!では御自愛下さい。鳥井俊介
鳥井俊介 | 2011.11.01 21:46 | edit
83. Re: そんなに重傷?失礼しました。
ひとつ前の記事では参考になるコメントありがとうごさいました!
今は膝があまり曲がらないのですが、歩けています!

やはり少し焦りすぎていたのだろうと思います。
手術は勿論全身麻酔だそうですが、きっとあっという間に終わっているのだろうと思います。
前十字靭帯損傷は、手術をしないと膝崩れをお越して半月板を痛め、
歳をとってから結構大変な状態になるとのことなのでやはり手術が必要だそうです。

大学の講義で他人事として聞いていたときは、大変そうに感じましたが、
意外と実際に自分がその立場になると、向き合うしかないなという気がしてきました。
必要な時間と考えて、視野を広げます^^
satoasako | 2011.11.03 15:35 | edit
84. Re: みほよさん
blogみて下さっていたのですね。コメントありがとうございます^^
今回は自分でも予想外の展開になってしましたが、
後悔しても治りはしないので、とにかく元気に!復帰を目指して過ごしていけるように、
メンタルを上手にコントロールしていきたいと思います。それが鍵ですね。
皆さんのレッスンを時々のぞいて、エネルギーもらいに行こうと思います!
またルネで会いましょう^^
satoasako | 2011.11.03 15:43 | edit
86. Re:鳥井さん
私のことを覚えて応援して下さっていて、本当にありがとうございます!
SAプロジェクト、せっかく大~きな夢と目標を決めたのですから、
完治することを信じて、スタートしていかねばなりません!
鳥井さんのメッセージ、大変励みになりました!!
頑張ります*^_^*

satoasako | 2011.11.03 15:50 | edit
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